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「神々の杜」について

写真の表現方法は常に変化していて、「こうあらねばならない」という決まりはないと思っています。しかし、私個人の考えとして、「こうありたい」と思うところはあり、それが誌面ににじみ出ることは、人が作っているものですから、止むを得ないものとお許しいただきたい。
ただ、基本的には雑誌というものは、ある傾向、方向性は示しても、そこにいろいろな考え方が入ってきても良いものと思っています。

3-4月号に掲載された「神々の杜」で、作者の石橋睦美さんが、デジタル画像処理によって被写体を消去していることについて、何人かの方から編集部としての見解を求められました。
私個人や編集部としては、これまで同様、画像の合成や改変については、否定的な考えを持っています。従って誌面上で積極的にそれを推し進める考えはありません。

しかし、口絵について言えば、写真作家が自身の作風、視点を世に問う場であり、編集も基本的には作家の個性を引き出す方向で行っています。
私は「神々の杜」を見て、その作品世界に衝撃を受け、誌面で紹介すべき作品であると思いました。
ただ、そこにデジタル画像処理による被写体の消去が行われていると知ったとき、ためらわなかったと言えば嘘になります。
しかし、石橋さんが基本をリアリズムに置きながら現代に残された神社をモチーフに「神々の杜」を描くには、一部画像に手を加えざるを得なかったという主張には耳を傾けるべきものがあると感じました。
自分の考えとは異なる部分を残していますが、デジタル写真という発展途上の表現方法において、一人の優れた写真作家の出した解答として、世に問うことが必要な作品であると感じたからこそ、誌面に掲載したのです。
前述したように、編集方針の方向性は保つ必要はありますが、自分たちの考えに少しでも合わなければ黙殺するというのでは、雑誌の立場として横暴に過ぎるのではないでしょうか。

そこで、おそらく「フォトコンテストでは、デジタル画像処理は禁じられているのに、口絵では許されるのはおかしいのではないか」という疑問を持つ人がいるものと思われます。
前述したように、私たちの基本的な姿勢として、デジタル画像処理による画像合成や消去といった手法を積極的に広める考えはありません。それは、いわゆる諸刃の剣で、使い方によっては作品性、テーマ性を高めることにつながることもありますが、安易に頼りすぎる風潮が広まれば、風景写真の本質的な価値をゆがめることになると思っています。
しかし、その一方で、デジタルによる風景写真表現はいまだ発展途上であり、技術の進化に表現が追いついていないのが実情だと思います。私たちでさえデジタル写真の普及によって、今後風景写真表現がどのように変化していくのか、まったく予測できないのです。
そのような状況にあって、一人の実績ある写真作家の出した解答を誌面で紹介したのであって、アマチュア写真作家が切磋琢磨する場であるコンテストを同列に考えることには違和感を覚えます。
また、コンテストである以上、ルールは必要であり、“なんでもあり”では公平な審査が行えません。

以上が「神々の杜」掲載についての私の考えです。
ただ、この文を読んで結論を出すのではなく、やはり口絵作品をしっかりご覧になって、できることなら、今行われている写真展も見て、考えていただきたいものです。
そこに描かれているものが、デジタル画像処理が行われているから、という、ただそれだけの理由で表現できたものなのか。既成概念や、人から聞いた意見ではなく、自分で見て、感じて、考えていただきたいと思うのです。そうしていただくことが、私たちが「神々の杜」を紹介した意味です。
by fukei-kaoru | 2008-01-11 15:26 | 仕事


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