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風景写真タイトル改善計画ーその1

今回から時々気まぐれに風景写真のタイトルの付け方について書いてみようと思います。

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前回、このブログで、「情報に頼りすぎない自分を持つべき」と述べました。
なぜでしょう?

みぞんさんのコメントも大筋で正解なのですが、少し補足すると、風景写真とは“場所”を撮るものではなく、自分の目と心で発見した“出合の瞬間”を描くものだから、ということなのです。

これからの風景写真においては、心で風景を見て、描くことがますます重要になります。
なぜなら、場所とタイミングで撮る風景写真は、もはや、ほとんど撮り尽くされているからです。
仮に、目新しいポイントが発見されたとしても、すぐに情報が広まり、たちまち新鮮味は消え失せることでしょう。

それに対して心で見つける風景は、無限で尽きることがありません。
今、心で見る風景=主観的風景写真が、風景写真の大きな流れとなりつつあるのです。

では、主観的風景と、「場所を撮る」風景写真では何が違うのでしょうか?
わかりやすい例で、説明しましょう。

風景写真タイトル改善計画ーその1_e0041948_2244395.jpg
Copyright(c) 風景写真出版

写真は、『風景写真』2007年11-12月号のフォトコンテスト・テーマ部門「未来」に入賞した、たはら芳明さんの作品です。
皆さんは、この作品から何を感じますか。
一緒に作品を“読んで”みましょう。

画面の中でもっとも視線を集めるのは、ほぼ中央に捉えられている薪小屋です。
つまり、作者はこの画面を創る上で、この小屋をもっとも重要だと考えていた、ということになります。
次に目をひくのはうっすらと雪が積もった道でしょう。
この状況から、この作品の季節感を推測してみてください。

地面の雪の様子は、残雪というよりは、初雪の趣です。
背景の青々とした竹林の色彩も、冬がまだ浅いことをイメージさせます。
そして中央の薪小屋には、屋根まで目一杯薪が積まれており、まだ使われている様子がありません。
ここからも、季節がまだ冬支度を整えたばかりの頃と読むことができるのです。

こじつけだと思いますか?
いいえ、作者にはこの場面にはっきりとそのようなイメージが見えていたはずです。
だからこそ、この場面で、このフレーミングでシャッターを切ったのです。

この作品のタイトルは「安息の越年」と言います。
いかがですか? 温もりのある部屋に響く家族の笑い声が聞こえてくるような気がしませんか。
なんとなく撮った作品に、後からタイトルを考えてつけたのなら、ここまで画面にはまることはありません。

これが作者が心で見つけた風景なのです。
心で風景を読み、読んだイメージを伝えようと画面を創って描いた風景写真なのです。
この場所を地図で調べて行くことに意味があると思いますか?
仲間に連絡をして呼び寄せることで、何かを得られるでしょうか?
おそらく、ここに来ても、この風景に何の意味も感じない人も少なくないと思います。
場所やシャッターチャンスの情報に頼ってばかりいては、心で風景を見つける感覚が磨かれない、ということがおわかりいただけたでしょうか。

この作品のように主観的風景写真は、優れたタイトルをつけることによって作品のイメージが大きく広がります。
逆に、作品のイメージを広げる良いタイトルを考案する感覚、考え方が、主観的な風景写真を撮る上では不可欠と言えます。

今回は、人里の風景を例に挙げましたが、自然風景や広い風景にも、もちろん心で見つける風景はあります。
これからしばらく、主観的な風景写真とタイトルについて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
by fukei-kaoru | 2007-11-16 22:19 | 作品タイトル


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