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カテゴリ:作品タイトル

  • 風景写真タイトル改善計画ーその4
    [ 2008-02-26 22:00 ]
  • 風景写真タイトル改善計画ーその3
    [ 2007-12-02 13:04 ]
  • 風景写真タイトル改善計画ーその2
    [ 2007-11-21 21:38 ]
  • 風景写真タイトル改善計画ーその1
    [ 2007-11-16 22:19 ]

風景写真タイトル改善計画ーその4

今年初めての「風景写真のタイトル改善計画」。
あまりに間があいていたので、その3で終わりと思っていた人も多いかもしれませんね。連載構成とか、別に何にも考えずに書いているので、特に終わりも決めていません。なので、今回で終わりかもしれませんし、その100まで続くかも。

今回は臨情感についてお話ししたいと思います。臨“場”感ではなく、臨“情”感。造語なので、多分辞書には載っていません。
どちらも、まるでその場に立っているような感覚のことですが、臨情感の方は、その場に立っている作者の心情がリアルに感じられることを言います。
そのことについては、その2で解説していますので参照してみてください。

その2にも書いているように臨情感を伝えるにはタイトルの役割が非常に重要です。
極論すれば、タイトルのサポートなしには臨情感を伝えるのは困難です。もっと極論すれば作品のタイトルは臨情感を伝えるためにあると言ってもいいでしょう。
……と言うのは、実はかなり言いすぎです。
実際にはタイトルの付け方には作風によってタイプが分かれる、と私は思っています。しかし、臨情感のあるタイトルの方が考えるのが面白いのと、主観的な風景写真についても理解しやすいと思うので、ここでは臨情感を中心に説明します。

さて、臨情感を感じるタイトルをつけるにはちょっとしたコツがあります。それは、“画面に写っているものをタイトルにしない”ということです。もう少し、詳しく言うと、“画面には写ってないけど、作品で伝えたかったこと”を言葉にするのです。
簡単に言えば、それは、作者が五感で感じていたものや、心に浮かんだ想い、イメージといったものです。
例えば、その2で取り上げた「はにかみ屋」という作品ですが、タイトルを見ず画面だけを見て「笹が恥ずかしがっているようだ」とすぐに思い浮かぶ人はどれくらいいるでしょうか?
確かにこの画面には、“笹がはにかんでいるようだ”という作者のイメージが込められています。その意味で「はにかみ屋」は画面に写されていると言えますが、そのイメージを画面だけから読み取ることを鑑賞者に求めることはあまりにも酷というものです。
つまり、ここで言う「写っているもの」とは、「視覚で認識できるもの」だと考えてください。

タイトルで臨情感を増幅するには、目で見てわかるものをタイトルにするのは原則禁止です。
「はにかみ屋」を例にすれば「雪」「冬」「白樺」「笹」といった語句は使ってはいけません!
いずれも画面を見ればわかるもので、こうした語句を用いると、てきめんにタイトルは説明的でダサイものになります。

次に、“できれば”避けたいのは「寒さ」を説明する語句です。雪が積もり、風が吹いているのですから、寒いことは画面を見ればわかります。
仮に、ここでの主題が“寒さ”にあるのなら、それを心情や五感で感じる感覚に置き換えてみましょう。例えば「耐える」とすると、厳しい寒さに耐えている作者が、そのイメージを風に揺れる笹に託していることがうかがえて、臨情感が感じられます。
ここで微妙なのは「厳寒に耐えて」とか「烈風に耐える」というタイトルです。個人的にはタイトルはなるべくシンプルに説明的な要素を省いた方が良いと思っています。
これは、私の好みを押しつけているのではなく、タイトルからできるだけ説明的要素を削ぎ落とすことで、鑑賞者に想像する余地を残すことが大切なのです。
かと言って、まったく意味不明では、鑑賞者を迷わせてしまいます。
わかりにくくなく、説明的ではないギリギリのさじ加減にこそタイトルをつける極意があると知ってください。


Copyright(c) 風景写真出版

さて、今回ご紹介するのは、最新号のテーマI部門でタイトル賞を獲得している作品です。
咲き誇る桜の下に主のいない自転車が2台。桜には提灯が掛けられ、どうやら花見酒で賑わう公園のようです。
一見して、「提灯や人工物の入った桜なんて……」と思った人もいるかもしれませんが、そういう人は既成概念に縛られていて、作品に込められたメッセージを受け取ろうとしていないのだと思います。それって、風景写真を趣味としていながら、随分損をしていると思いますよ。

さて、この作品のタイトルは「寄り道」と言います。自転車の主はどこで道草を食っているのでしょうか? この作品に「ちょいと一杯、花見酒」なんてタイトルをつけたとしたら、無粋この上ないと思います。
「どこに行ったのだろう?」と鑑賞者がさまざまに想像を巡らせることによって、イメージがどんどん膨らみ、作品に物語が生まれるのです。
視覚的に写っているものはもちろん、自分の心情さえも極力説明しない。それが臨情感を感じさせるタイトルの極意です。


*今回の“今週の一枚”は、私が担当しています。ぜひ、お立ち寄りください。なお、風景写真モバイルサイトからも、このブログを読むことができます!
アクセスの方法は下記の3通り。

1.URLを入力する
 URL http://kmaga.jp/fukei/
2.空メールを送る
 メールアドレス fukei@kmaga.jp
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by fukei-kaoru | 2008-02-26 22:00 | 作品タイトル

風景写真タイトル改善計画ーその3

良いタイトルを付けるコツが一つあります。
それは、「良いタイトルを付けようと考えないこと」です。

ちょっと分かりにくいですね。
例えば、こういうことです。
皆さんはその1その2で紹介した作品とタイトルから、作者が無理にタイトルをひねり出している印象を受けるでしょうか?
そうではなく、おそらくごく自然に心に浮かんだ言葉をタイトルにしていると感じる人が多いと思います。
なぜなら、作者は風景から受け取った主観的な印象をフレーミングしているのですから、タイトルに込められたイメージはすでに撮影しているときには作者の頭に作られていたはずなのです。
あとは、そのイメージに合う言葉を見つけるだけです。
作者ご本人は「そこが難しいんだよ」というかも知れませんが、少なくともタイトルの方向性は見えているわけですから、対象となる言葉はかなり絞られているはずです。

つまり、タイトルを付けることは、「良いタイトルを付けよう」とゼロから「考える」ものではなく、作品を撮った狙い、作品で描きたかったイメージに合う言葉を「探す」あるいは「選ぶ」作業だと言えます。
タイトルを付けるときになって、言葉の海の“どこを探せばいいかわからない”というのは、自分が何を撮ろうとしていたのかがわかっていないということにもなるのです。

ただし、その1その2でで紹介したのは、本誌のフォトコンテストに入賞した極めて優秀な作品であって、誰もがいつでもこのような視点を持てるわけではありません。
まずは、被写体の美しさに感動したのであれば、素直にその想いをタイトルにするところから始めれば良いのです。
被写体のそのもの名前をタイトルにしてはいけないということもありません。
作者の視点を素直に表したものは、巧くはなくても悪いタイトルではないのです。


Copyright(c) 風景写真出版

作品は『風景写真』2007年11-12月号のフォトコンテスト・テーマ部門「未来」に入賞した、米田利昭さんの作品です。皆さんなら、この作品にどんなタイトルを付けるでしょうか。

一緒に作品を“読んで”みましょう。
画面はわずか二つの要素だけでシンプルに構成されています。
一つは寺院らしき建物、もう一つは不気味な雲が広がる空です。
この内、作者がこの場面でより強く心を惹かれているのは、どちらでしょう。
この場合は、画面一杯に大きく捉えられた空であることは明白です。
そこから、この作品に「不気味な空」「暗雲」といったストレートな印象をタイトルにしても、まったく問題はありません。むしろ、捻りすぎるよりは作品の印象を素直に伝えてくれます。

実は、この作品には「不安」というタイトルが付けられています。
作者は、被写体の見た目の様子ではなく、自分の心に感じた印象をストレートにタイトルにしているのです。
まさに臨“情”感を感じるタイトルと言えるでしょう。
これが主観的風景写真です。

*****************************************


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by fukei-kaoru | 2007-12-02 13:04 | 作品タイトル

風景写真タイトル改善計画ーその2

風景写真を鑑賞したときの“まるで、その場にいるような感覚”は、大きく2つに分けられます。それは臨場感と臨“情”感です。
どちらも、その場にいるような感覚のことですが、特に風景写真においては、前者は風景のディテール、質感、遠近感などをリアルに伝えている写真から感じることが多いようです。
一般的に、このような観賞感覚は主に克明描写によって得やすいと言えるでしょう。つまり、抽象よりは具象、ボケよりはピントのあった表現です。

一方、臨情感は、風景の前に立つ、作者の感情や感覚がリアルに感じられることを言います。
臨情感のある作品からは、作者の心の中に浮かんでいた想い、五感で感じていた感覚などが自分のものとして感じられ、あたかも自分がその場に立って風景を見ているような感覚にとらわれます。
その感覚のことを私は臨情感と呼んでいますが、造語なので辞書には載っていません。

臨場感と臨情感は相反するものではなく、二つを共に備えた作品もあれば、どちらかの要素が強い作品もあります。また、どちらの要素が強い方が優れているということでもありません。
ただ一つ言えることは、前回に述べた主観的風景写真では、後者の臨情感が大事な要素となるということです。そして、臨情感を伝えるにはタイトルの役割が非常に重要なものとなります。


Copyright(c) 風景写真出版

写真は『風景写真』2007年1-2月号フォトコンテスト・テーマ部門[音]で優秀作品賞を獲得した本田雄一さんの作品です。
皆さんは、この作品の映像から何を感じるでしょうか。
雪に覆われた真冬の風景。
画面中央で笹が風に吹かれて揺れています。
一見すると、厳しい寒さを表現しているかのように思えます。

実は、この作品のタイトルは「はにかみ屋」と言います。
タイトルを知ると、作者がなぜ笹を画面中央に大きく捉えたのか、その笹を幹の後ろに少し隠した意味、どうして笹がぶれているのか、といった作画意図がくっきりと浮かび上がってきませんか?
それがわかれば、寒さの中で、足元の笹の葉が風に揺れる様に、温かな眼差しを向けていた作者の心情に、自分の気持ちを重ねていくこともできるはずです。
それが臨情感なのです。


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by fukei-kaoru | 2007-11-21 21:38 | 作品タイトル

風景写真タイトル改善計画ーその1

今回から時々気まぐれに風景写真のタイトルの付け方について書いてみようと思います。

*****

前回、このブログで、「情報に頼りすぎない自分を持つべき」と述べました。
なぜでしょう?

みぞんさんのコメントも大筋で正解なのですが、少し補足すると、風景写真とは“場所”を撮るものではなく、自分の目と心で発見した“出合の瞬間”を描くものだから、ということなのです。

これからの風景写真においては、心で風景を見て、描くことがますます重要になります。
なぜなら、場所とタイミングで撮る風景写真は、もはや、ほとんど撮り尽くされているからです。
仮に、目新しいポイントが発見されたとしても、すぐに情報が広まり、たちまち新鮮味は消え失せることでしょう。

それに対して心で見つける風景は、無限で尽きることがありません。
今、心で見る風景=主観的風景写真が、風景写真の大きな流れとなりつつあるのです。

では、主観的風景と、「場所を撮る」風景写真では何が違うのでしょうか?
わかりやすい例で、説明しましょう。

Copyright(c) 風景写真出版

写真は、『風景写真』2007年11-12月号のフォトコンテスト・テーマ部門「未来」に入賞した、たはら芳明さんの作品です。
皆さんは、この作品から何を感じますか。
一緒に作品を“読んで”みましょう。

画面の中でもっとも視線を集めるのは、ほぼ中央に捉えられている薪小屋です。
つまり、作者はこの画面を創る上で、この小屋をもっとも重要だと考えていた、ということになります。
次に目をひくのはうっすらと雪が積もった道でしょう。
この状況から、この作品の季節感を推測してみてください。

地面の雪の様子は、残雪というよりは、初雪の趣です。
背景の青々とした竹林の色彩も、冬がまだ浅いことをイメージさせます。
そして中央の薪小屋には、屋根まで目一杯薪が積まれており、まだ使われている様子がありません。
ここからも、季節がまだ冬支度を整えたばかりの頃と読むことができるのです。

こじつけだと思いますか?
いいえ、作者にはこの場面にはっきりとそのようなイメージが見えていたはずです。
だからこそ、この場面で、このフレーミングでシャッターを切ったのです。

この作品のタイトルは「安息の越年」と言います。
いかがですか? 温もりのある部屋に響く家族の笑い声が聞こえてくるような気がしませんか。
なんとなく撮った作品に、後からタイトルを考えてつけたのなら、ここまで画面にはまることはありません。

これが作者が心で見つけた風景なのです。
心で風景を読み、読んだイメージを伝えようと画面を創って描いた風景写真なのです。
この場所を地図で調べて行くことに意味があると思いますか?
仲間に連絡をして呼び寄せることで、何かを得られるでしょうか?
おそらく、ここに来ても、この風景に何の意味も感じない人も少なくないと思います。
場所やシャッターチャンスの情報に頼ってばかりいては、心で風景を見つける感覚が磨かれない、ということがおわかりいただけたでしょうか。

この作品のように主観的風景写真は、優れたタイトルをつけることによって作品のイメージが大きく広がります。
逆に、作品のイメージを広げる良いタイトルを考案する感覚、考え方が、主観的な風景写真を撮る上では不可欠と言えます。

今回は、人里の風景を例に挙げましたが、自然風景や広い風景にも、もちろん心で見つける風景はあります。
これからしばらく、主観的な風景写真とタイトルについて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
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by fukei-kaoru | 2007-11-16 22:19 | 作品タイトル


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