「閉じた世界」まとめ(的なもの)

前回の「閉じた世界」に、あれだけの反響があったこと、本当によかったと思います。いろいろなご意見があることがよくわかりましたし、私はそういうことが言いたかったのだと思います。
自分は気に入らない、好みではないという写真でも、いろいろな感じ方をする人がいて、それに感動している人もいます。少なくとも編集部としては、誰か受け取ってくれる人がいると信じて発信しているのです。
「好みではない」「わからない」というのは読者のご意見としてよくわかります。その声は編集部として耳をふさぐことはできないものです。
しかし、風景写真全般の発展を考えたとき、「それは風景写真ではない」と言って蚊帳の外に追い出そうとするのって、どうなんだろう?と思うのです。
そんな疑問があの記事を書いた動機でした。

自然系の写真で、風景写真と呼んでも差し支えない傾向の作風であっても、一部のアマチュア風景写真家の方からはほとんど評価されない、あるいは強烈な反発を受けるタイプの作品があります。
先人の築いた風景写真の価値観をよく理解し、なおかつ、深い見識と、作品を見る眼力を持つ写真作家が、審査員として「あの人は写真を観る力がない」と批判を受けることがあります。
思い掛けず「お寺の写真」がクローズアップされてしまいましたが、話しは「お寺の写真はダメ」とか「自然中心であればいい」というような単純なものではないのです。
もちろん、皆さんがすべてそうだと決めつけるつもりなどありませんが、多くの読者の声が集まる編集部にいると、一部のアマチュアの間で、かなり風景写真観が狭く、頑なになっていると感じるのは確かです。

話しは少し変わりますが、アマチュア写真家の皆さんとお話しをしていると、「自分たちのクラブに、もっと若い人にも参加してもらい、風景写真の素晴らしさを伝えたいのだけど……」という悩みをよくお聞きします。
私も風景写真の“高齢化”は深刻な問題だと思っています。(もちろん、先輩方を切り捨てて、若い層の読者を獲得したいという意味ではありません)
しかし、「あれはダメ」「そんなのは風景写真ではない」という空気では、なかなか若い人には魅力的な世界には感じにくいのでしょうか。
今、多くのアマチュア写真家が撮っているような自然風景の素晴らしさを理解し、写真に表現することができるのは、皆さんがそれなりの人生経験を経て、物事の見方、感じ方を深めることによって獲得した素晴らしい感覚があるからだと思います。
中には若くして、その感覚を理解できる人もいますが、やはり、新しい世代の人に風景写真の素晴らしさを受け継ぐには、「こっちに来い」だけではダメで、彼らのところに近寄って、まずは彼らの好きなもの、撮りたいものを認めてあげる気持ちも必要ではないでしょうか?

短歌の世界に俵万智さんが現れたとき、一部には彼女の作品を邪道と見なす人もいたようです。
しかし、俵さんの作品は短歌を詠まない人にも幅広く読まれ、その裾野を大きく広げたことは事実だと思います。
それは「詠む人」から「読む人」へのブレークスルーだったのではないでしょうか。
現状の風景写真は、「撮る人」から「撮る人」への状況に近いものがあります。
風景写真の世界に俵万智さんが現れたとき、はたして、私たちは受け入れることができるでしょうか。
日本のアマチュア風景写真家のレベルは総じて高く、私はアマチュアの中から「撮る人」から「観る人」へのブレークスルーを起こす人が現れる可能性は十分にあると思っています。
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by fukei-kaoru | 2008-11-27 14:19 | 風景写真


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